善玉菌、悪玉菌、日和見菌

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Repeating Motif Wonderland

更新日 2011-10-02 | 作成日 2007-12-12

善玉菌、悪玉菌、日和見菌

2007.12.30


世界一受けたい授業を見ていて

 先日、世界一受けたい授業を見ていたら、大腸の話題が取り上げられていました。その中で善玉菌、悪玉菌、日和見菌についての説明がありました。

 番組の中で説明されていた数値は忘れてしまいましたが、数としては日和見菌が最も多く、善玉菌が優勢な時は善玉菌の味方を、悪玉菌が優勢な時は悪玉菌の味方をするといった説明がありました。

ヒマラヤ登山のリーダーシップ

 これを聞いて、昔読んだエッセイを思い出しました。医師であり登山家である著者が、善人と悪人と凡人の比率について述べていた記憶があります。押し入れをかき回して、そのエッセイが載っている雑誌を探し出しました。サイエンス社のComputer Today 1991年1月号です。

 この号の巻頭エッセイ「ヒマラヤ登山のリーダーシップ 情報処理『主体』の一考察」が探していたものでした。著者は原真氏です。

エッセイの内容

 わずか2ページのエッセイですが、示唆に富み、再読に耐える内容です。全文引用する訳にもいかないので、簡単に内容を要約します。

(1)ヒマラヤで人は性格の弱点を現す。日常生活でとりつくろえた弱点が酸素の足りない高所でだんだん出てくる。下界にいる時とヒマラヤで現れる性格に差がある人程、有害な存在と判定してよい。人を言う事で評価してはならない。行動によって評価せよ。
(2)登山家には機敏な判断力が要求されるが、六千メートルを超える高所へ登った人間は急速に体力と知力の減退をこうむり、判断力が退化する。判断力とは直感力に由来するものであり、直感は感情に裏付けられた理解力である。すぐれた直感のもととなる豊かな感情が高山では減殺されていくが、その度合いは人により異なる。豊かな感情を持つものは感情の障害を受けにくく、乏しい感情しか持たないものは感情の障害を受けやすい。
 人間の価値はよき判断力を持つかどうかで決まるのであり、その事は個人のもって生まれた感情の豊かさの程度に支配されている。
(3)人間の本質は三千メートルから徴候を現し、体の動きで見分ける事ができる。不自然によく動き始める者は自己顕示型、動きの鈍る者はナルシストないしは利己主義者、信頼できる人間は体の動きがいつもと変わらない者である。
 人間の性能は困難に直面させることによってしか解らない。安全な場所での言動は参考にならない。
 限界状況での人間性を判断する時は外面を見て内面を予測する事が大切。挙動は精神の内を表す。動作が自然である事が、その人の健全度、有能度を表す。そして他人が自然であるという事を判定する自らの能力が大切。


 普段、我々は本質を隠すヴェールをまとって社会生活を営んでいるが、酸素の少ない過酷な環境ではそのヴェールをはぎ取られてしまうという事でしょうか?

人類のためになるような人間、平凡な人間、有害な人間

 さて、善玉菌、悪玉菌、日和見菌についての説明を聞いて思い出した部分は(3)の後半にあります。ここは原文をそのまま引用してみましょう。なかなか刺激的な内容です。

(前略)教育者も精神科医も人間を変えることはできない。ならば当然、私のヒマラヤ体験から、次のことを公言してよいと信ずる。人類のためになるような人間は5%しかいない。75%は可もなし不可もなしの平凡人間で、20%は有害な人間である。困難に直面した人間集団では、20%の悪人が 75%の凡人を駄目にするように作用する。5%が75%を救い得る。本当にリーダーができる人間は素質からみて5%に過ぎない。この世は、5%と20%の戦いと言ってよい。

雪山の審判

 Master Keaton 11巻 Chapter 7 「雪山の審判」は、企業のトップを決めるために候補者三名をサバイバル教室に入れる話です。こんな台詞があります。

「キートン君、三日間で"人物"の判定ができるものですかな。」
「いやあ・・・私はそんな人物の評価のできるような者じゃありませんよ。ただ・・・大自然の中で人間は本質を現さざるを得なくなる場合があります。特に困難な状況では・・・」
「なるほど、大自然が判定者というわけか」

 舞台はイギリスのハイランド。低酸素の高山という訳ではありませんが、足首をねんざしたり、雪渓の斜面で滑落しかけたり、食料の大半を失った状況で吹雪に閉じ込められたりと様々な困難に直面します。
 三人の中の一人、ウォルターは原氏のエッセイで言うところの「不自然によく動き始める者」ですね。