戻ってこないブーメランがある?

本を読んであれこれ考えてみよう

Boomerang

戻ってこないブーメランがある?
 ブーメランの特徴は何?と聞かれれば当然、元の場所に戻ってくる事と答えるだろう。逆に言えばブーメランについてそれ以外の事はよく知らない、というのが大多数の人ではないかと思う。自分もそうだった。
 だからこんな説明があれば、なるほどと思って特に疑問を感じる事はないだろう。

狼よ、故郷を見よ

平井和正

ハヤカワ文庫SF
p206-207

 おれは、なぜこんなことを知っているのだろう。鎌型の木片にあるねじりをつけ、刃の形に曲面を持たせる。
 オーストラリア原住民が使用する木製の飛道具で、ブーメランという名で知られている。投げると直進の後、横転し、上昇し、巨大な円弧を描いて投擲者の手許に戻ってくる。充分な重量を持たせれば、獲物や敵の首の骨を粉砕するのは容易だ。オーストラリアだけではない。南北アメリカ大陸のインディアンも使っているし、インド、蒙古、アフリカにも広く分布している。氷河時代に発明されたのだ。
(中略)
 ブーメランは、奇怪な武器だ。投げ方ひとつで複雑な飛行を演じ、襲われた敵は攻撃角度を知ることもできず倒される。目的を果たしたブーメランは再び投擲者の手に帰ってくる。同じ飛道具を何度でもくりかえして使うことができるのだ。

 ところが「ソー・ザップ」には戦闘用のブーメランは戻ってこないと書いてある。
 戦闘用のブーメラン?大体、ブーメランに狩猟用と戦闘用の区別がある事すら知らなかった。

ソー・ザップ!

稲見一良

角川書店
ISBN:4041886015
p127

 ハヤは、大きく外れて自分の横を飛んでいったブーメランの軌跡を気にして、首を竦めながら一瞬後ろを見た。レッドは肩に突き立った物には目もくれず、背中から抜いた二本目のブーメランを投げていた。
 ハヤは知らなかった。狩猟用のものと違って、戦闘用のブーメランは、直進して戻ってはこないのだ。「あっ!」とハヤが小さく叫んだ。重い板がハヤの額の手裏剣の柄を直撃し弾きとばして飛び去った。目のくらむ衝撃があり、バンダナの鉢巻きがハラリと落ちた。

 さらにこの本には、もともとブーメランは戻ってはこないものだったと書いてある。驚いてはいけない、と言われても驚く。

ブーメランはなぜ戻ってくるのか

西山豊

ネスコ
ISBN:4890368795
p14-15

 ブーメランはオーストラリアのアボリジニたちだけのもの、という認識が私たちにはある。ところがこれは完全な誤解である。ブーメランは、世界のいたるところで発見されているのだ。
 アメリカ南西部のインディアンは、ウサギ狩りに使用していた。これらのウサギ狩り用のブーメランは独特の形をしている。ブーメランを手で持って運びやすくするために、片方の端に取っ手がついているのだ。
 さらに、一九二〇年代にツタンカーメン(紀元前一三六二〜一三五二年)の墓を発見したイギリスの考古学者ハワード・カーターは、他の装飾品と一緒に埋葬されていたブーメランの写真を公表し、世界を仰天させた。
(中略)
 このほかにも、コロンビア、インド、北ヨーロッパなど、全世界的にブーメランは存在している。しかし、これらのブーメランは戻ってこない種類のものだ。驚いてはいけない。ブーメランには戻ってこない種類があるのだ。というよりも、もともとは、すべてのブーメランは戻ってこなかった。

 ウサギ狩りに使用していたとあるが、その原型となるような様子が「白い牡鹿」で描かれている。これだって一種のブーメランと言ってもいいだろう。直接獲物にぶつけるわけでもないし、元へも戻ってはこないけれど。

白い牡鹿

C.W.ニコル著 竹内和世訳

p141-143

 不意に、野兎じいが例の枝を投げた。枝はものすごい速さでくるくる回りながら、木立や茂みを抜けて飛んでいった。風を切る不思議な音が響いた。三匹のノウサギが飛び出してきた。老人は躍り上がるようにして吹きだまりの上に跳び降りると、坂を転げ下りた。ターカも老人に続いた。両足のかんじきがぶつかって、足がもつれた。
(中略)
ふたりで犬たちのところに戻っていくとき、野兎じいが今のやり方を説明してくれた。投げた枝がくるくる回りながら空中を飛ぶ、そのとき立てる音が、クマダカが風を切って飛ぶときの羽のうなりに似ているのだという。その音を聞いて、ノウサギは恐ろしい敵が空から襲ってくると思い込むのだが、そのまま走って逃げきろうとはせず、一番手近な巣穴に飛び込む。狐やテン、あるいはオコジョなどと違って、クマダカは穴を掘ることができないからだ。
「大昔からあった狩りの方法なんだ。この列島に初めて人間が住みついたころから行われていたらしい。まだ日本がユーラシア大陸から切り離される前のことだ。北の地方に住むマタギは今でも、これと同じやり方で狩りをしてる。ただ彼らが使っているのは、木と藁で編んだ丸い円盤だがね。同じような音が出るんだが、私はやはりこっちのほうが好きだね。これならいつだってすぐに作れるし」

 野兎の習性についてはこんな話も。

ダック・コール 第三話 密猟志願

稲見一良

早川書房
ISBN:4150304025
p154

 ヒロが手を動かしながら、話すことがあった。やはり愚痴も身の上話もなく、ウッドクラフトの知恵に満ちた話ばかりだった。たとえば…野ウサギが跳び出した時、口笛でも何でもいい、鋭く短い音を挙げると、ウサギはピタと止まってしまう。耳をピンと立て目を瞠って、何だ何だといわんばかりに振り返るという話、逃げていったウサギは、一廻りして必ず元の所へ戻ってくる。人は木の切株にでも腰を下ろして一服して待てばいいという話…
 コジュケイの群れが潜んでいるはずの草むらで、人が同じ歩調で近づく限り、鳥は一定の距離を保って草の中を歩き、姿を見せない。歩いて行ってパタと急に立ち停まればいい。見つかったと思うのか、コジュケイはそのとたんに次々と飛び立つという話…

 なぜブーメランが戦闘用と狩猟用の二つに分かれたのか?その理由は「ブーメランはなぜ戻ってくるのか」に書いてあった。万能のブーメランを実現するのは不可能で、戻ってくる為にはあきらめなければならない要素があったという事だ。

ブーメランはなぜ戻ってくるのか

西山豊

ネスコ
ISBN:4890368795
p27

 基本的な区別として、戻ってこないブーメランは大きくて重い。これは攻撃力があり、狩猟にも、部族間の戦闘にも有効であった。一方、戻ってくるブーメランは軽くて薄くなくてはいけない。戻ってくるという要素をきわめるためには、攻撃力ということを捨てなくてはならないのだ。
 さらに戻ってくるブーメランは、ある程度、空高くとばさないと戻ってこないので、地上の小動物にはあたらない。また、カンガルーやエミューなど体の大きい動物に対しては、一撃で相手を倒すほどのダメージを与えることはできないという弱点もある。
 そこで、戻ってくるブーメランを狩猟に使用する場合、その対象は野鳥に限られた。密集したアヒルやガチョウやハクチョウなどの群にブーメランを投げこみ、一度に二〜三羽にあたれば、なんとか狩猟らしくなるからだ。
 ただ、もし獲物にまったくあたらなかったとしてももう一度トライできるように、ブーメランがハンターのところへ戻ってくるというメリットはあった。

 最後はSFに登場する未来のブーメランを紹介する。こいつは戦闘用でありながら元へ戻ってくる能力を持っているようだ。しかも一筋縄ではいかないやつである。

戦闘妖精・雪風

神林長平

早川書房
ISBN:4150301832
p45-46

「ブーメランが?」零は身を起こした。
「速かった。予想もつかない角度で急旋回して突っ込んできた。よけきれなかった。この傷をつけるほどの負荷抵抗を受けてもそいつは飛び過ぎてゆき、もう一度旋回してもどってきた。かろうじて手で受け取ったよ。取り易い位置に返ってくるように作ったんだ。だがどんな飛び方をするかは———その時の状況によってそいつ自ら判断する…二度と投げる気にはなれなかったね」
「ロケット・モーターでもつけたのか」
「いや。あくまでもブーメランだ。ただ、そいつは知能を持っていた。ワンチップ人工知能超層状LSIを入れたんだ。フィードバック制御ではどうしてもだめでね、先を見とおせる制御法が必要だった」
「予測制御か」
「何回も何回も投げたよ。そのたびにLSIは状況を判断し、覚え込み、失敗の原因を探り、一瞬先をだんだん正確に予想して反応するようになった。学習機能は人工知能ユニットの基本回路にハードウェアで入ってるから基礎手順は教えてやらなくてもよかった。おれが命令したのは各センサの情報をつかって姿勢制御をし、射出地点にもどってこい、それだけだ。半年ほど飛ばしたかな、そのうちこちらがその飛び方を予想できなくなった。危ないなと思ってたやさき———シュッ!三針縫ったよ。医者が不器用でね、痛いのなんのって、訴えてやろうかと思ったが、手続きがまためんどうでな」

 オンチップの学習機能、予測制御、人間が与えるのは単純な指令のみ…
 こんなチップが手に入ればぜひ使ってみたいものだが、少し怖い気もする。自らがつくり出した機械が自らの予測を超えて成長し、ついには自分を傷つけるにいたる。ここにはそんな暗示がある。
 さて、これは学習機能を持つ人工知能の話だが、そんなものを持ち出さなくても自分で作ったプログラムが自分で理解できないということはある様だ。

思考ゲームプログラミング

森田和朗 国枝交子 津田伸秀

p145-146

 前に評価関数は、プログラムを作った私自身よくわからないと述べました。私がはじめに作った評価関数は、今より単純で自分自身で理解できるものでした。これはあたりまえです。そうでなければ評価関数を作れるはずがありません。しかしこのままではコンピュータはあまり強くありません。強くするには何度も改良を重ねなければなりません。
 もしコンピュータがある傾向の悪手を繰り返すことを発見したら、評価のなかにそういう手をさけるような要素を加えます。またコンピュータの強さが伸び悩んでいると思ったときは、なんでもいいから評価関数を適当にいじったものをたくさん作ってリーグ戦をやります。こういうことを繰り返してできあがったものは、自分でもどうしてそれが強いのかは理解できず、とにかく他のものよりそれが強いらしいということがわかるだけです。

 自分で作ったプログラムが自分で理解できないというのは不思議な気がするが、このように説明されるとなるほどと思う。人工知能をもちださなくても、そういったことはあるのだ。
 しかしゲームプログラムだから許されるのかもしれないな、とは思う。それともこういった手法は既に幅広い分野で使われているのか?これじゃ設計ではなくて指導、訓練だ。パラメータを調整するのであればチューニングか。
 遺伝的アルゴリズムというのがある。評価関数を遺伝子に見立てて、生き残りのための場を設定し、適者生存の法則で最適解を得ようとするアルゴリズムだ。これだって得られた結果がなぜよいのかは分からないという意味では同じ事だ。
 設計のアウトプットが結果オーライというのは何とも気持ちが悪い。この心理的バリアの方が実は大きいのかもしれない。